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底辺大学生のブログ

底辺大学生が学生生活や学歴、社会問題、時には趣味の事について日々思ったことをつらつらと書き連ねるブログです。

裏切り、裏切り、裏切られ。

読書の皆さんは「スクールカースト」という概念を知っているだろうか?または経験したことがあるだろうか?スクールカーストとは、「現代の日本の学校空間において生徒の間に自然発生する人気の度合いを表す序列を、カースト制度のような身分制度になぞらえた表現(wikipediaより引用)」の事である。特に地方の公立中高ではスクールカーストは色濃くあると思う。僕の中高にもスクールカーストは確かに存在していたが、僕は上位の人に媚びることも無ければ、下位の人と群れることも無く、色々な階級の人と満遍なく表面上の付き合いをする一方で輪から外れた一部の人と仲良くしていたような気がする。

 大学に入るとクラスというものが無いので(あってもほとんど機能しない)、スクールカーストというものも殆ど無いと感じる。それはメリットなのかもしれないけれど、一方で人間関係はより刹那的で希薄なものとなる。露骨なイジメや対立は無くとも、目に見えない形での裏切りは頻繁に起こるのが大学生活ではないだろうか。僕も仲良くしていた後輩を一度裏切ってしまった。その裏切りが、しかしながら、大きなしっぺ返してして僕に帰ってきた。その件について懺悔と後悔、そして僅かながらの希望を持ちつつ、記していこうと思う。

 僕は人並み以上にアイドルというものが男女もの問わず、好きであった。皆さんはユニドルというものをご存知であろうか?ユニドルとは女子大生の大学対抗アイドルコピーダンス大会のことである。僕の友達にユニドルに出場している友達がいるのもあって、興味を強く持っていた。ただし、それは観る側としてではなく、出る側として、である。しかしながら、先に記したように女子大生のみが許されたものであって、男子大学生は出場することはできなかったのである。しかし何とかして出たいと思っていた僕は自称男子ユニドルを何人かの後輩に声をかけ、設立してしまった。その後、特に活動をすることはなかったのだが、約1年後にこれがユニドルの運営の方の目に留まり、男子版ユニドル、ユニボーイという大会を設立することを運営の方々が決めてくださったのである。ヤル気に溢れる後輩をメンバーに持ち、大会が決定し、後は大会に向け、一心不乱に練習するだけ......とは、僕はならなかった。あんなに出たかった大会だったのに、僕は大会が開催されると決まった瞬間にモチベーションが無くなってしまった。大会が決まったことに満足してしまったのだと思う。それに加えて、こんな少ないメンバー(何人も抜けていき、後輩と僕で2人だけだった)で大会に出れるのか....そういう不安な気持ちもあったに違いない。そういう低いモチベの僕と対照的に後輩はモチベーションが高かった。そんな後輩と僕が仲良く練習することができるわけもなく、大会直前までまともな練習はできなかった。二週間くらい前に僕の友達を誘い、急遽3人となってやっと形らしい練習をできるようになり、本場へ臨んだ。結果は酷いものであった。あまりの出来の酷さにこの大会のことは思い出したくないものである。

 大会が終わってからも後輩は第二回大会があったら出たい、また出ましょうと言ってくれていたが、そんな後輩を僕は拒絶をした。大会がうまくいかなかった原因が自分にある事は明らかなのにも関わらず、責任を逃れ、後輩に全てをなすりつけようとした心理がそこにはあったのである。当然、後輩は僕を拒絶するようになり、疎遠となっていった。snsは全てブロックされていたと思う。

 その半年後、第二回大会が開催されることが決まった。半年も経っていたので、タダでさえ喉元過ぎれば熱さ忘れるの骨頂的性格である僕は第一回の失敗や後輩へ擦りつけたことなんか綺麗さっぱり忘れ、全てを美化していた。そして、その後輩を誘い、また出ようとした。だが、それは叶わぬ事であった。後輩は自分で新しいチームを作っていたのである。これを裏切りというのはあまりにも言葉違いであろう。どう考えても僕から出た錆である。しかしながら、僕は後輩が僕への恩を忘れ、新たなチームを設立したのだということに事実をすり替え、それを裏切りと呼ぶ事にし、現実逃避を決めた。失敗すればいい、そのようにしか思う事が出来なかった。そのメンバーの中にはかつて僕が第一回の時に誘ったが断られたメンツめいたので尚更であった。そうしている内に、僕の例の炎上事件が起こり、大会にでることはほぼ不可能となったのである。

 先日、その第二回大会が行われた。後輩達のチームは3位に入賞をした。この時、ようやく自分の愚かさに気づいたのである。自分の下位互換だと見下していた後輩ははるかに人望、努力、才能において上であった。とにかく他人を見下してしまう自分の性格の悪さ、それにより引き起こされる負の連鎖を呪った。そして、深い反省をした。僕は後輩に謝った。和解をすることはできた。しかし、本当に後輩が僕を許したとは思っていない。いや、許す許さない以前に、もう眼中にないと思う。後輩にとって僕という存在はもうどうでもいいものであるに違いない。僕は1人の人間を裏切った罪を背負わなければならない。その罪への罰の一つがこの時味わった深い後悔の気持ちなのである。さらに罰は続いていくだろう。裏切り、裏切り、裏切られる。自分が裏切ったことによって帰ってくる「裏切り」は罰なのである。その裏切りという名の罰を受けながら今後生きて行けば、もしかしたらまたチャンスが回ってくるかもしれない。そんな朧げな、微かな希望を無理矢理にでも持とうとすることが今の僕の生きる希望である。