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底辺大学生のブログ

底辺大学生が学生生活や学歴、社会問題、時には趣味の事について日々思ったことをつらつらと書き連ねるブログです。

人生に大逆転などあるのか。

このブログが一部の人間の間で酷評だという事を耳にした。まあ恐らくだいたいどこの界隈が言っているのかは予想がついているが、それだけ読者が増えたということは喜ばしいことだ。酷評している人達は自身の行為の正当性を疑わず、社会的に見たら大したこともしていないのに狭いコミュニティの中でしたり顔をしている僕の嫌いな人間だろう。そういう嫌いな人間が酷評を述べていると言うことはこのブログを読み、気分を害しているということである。嫌いな人間へ精神的ダメージを文章を通じ与えているということを考えれば、ブログとしては大成功である。

 

さて本題に入るとしよう。人生逆転してやる、ということを思う底辺人種は多い(僕を含め)。往々にして彼ら(僕ら)は受験だとか就職だとかの転機、あるいは資格習得などを通じて「人生逆転をしてやる」と考える。そこにあるのは受験や就活で言えば今いるコミュニティの中では底辺、あるいは愉悦が無いが、自身の努力によって全く違う環境に所属することを成功させ、そこで新たな人生を始め今まで味わえなかったモノを取り戻すと同時に旧コミュニティの人間を見返すとか、まあそんな所であろう。受験や就活に成功した場合、後者の見返すということは本人の主観的感情だけ見ればほぼ成功するだろう。しかし、前者のことは必ずしも成功するとは限らない。結局、旧コミュニティでうまくいけなかった人間は新コミュニティでもうまくいかないからだ。もちろん、うまくいく人もいる。新コミュニティで今までになかったものを味わうことに成功した勝者も一定数存在する。僕がここで述べたいのは、そういう人達は確かに現在という点で見たときは勝ち組かもしればいが、連続的な時間軸で見た場合、過去も今も幸福だった人間、小中高とクラスカーストトップだったような先天的リア充の人間にはどう足掻いても勝てないし、本当に幸せといえるのか、ということである。つまり、人生においてある一定の期間以上、底辺を味わってしまうと、大逆転をおこし、その後そこそこ程度の幸せを味わえる程度では心の底から「充実した人生だ」と思えることができなくなってしまう、ということである。

 

日本社会では中退や離職などどこかで一度失敗してしまうと元のように完全には戻れない風潮がある。これは人生に置き換えても同じと言えるかもしれない、と最近考え始めている。大学二年生のときは確かにほとんどのことがうまくいきかなり充実していたが、過去を周囲と比較し、心の底から楽しい人生と思うことは一度もなかった。今後僕の人生が今までにない幸福な時が来たとしても、未来の僕は今のこの底辺な状態を思い出し、心の底から幸福な人生だと思うことはないだろう。未来の僕へ、どう謝罪すればいいのか、言葉もでない。最も、そんな幸福が来るかは疑問ではあるが。