底辺大学生のブログ

底辺大学生が学生生活や学歴、社会問題、時には趣味の事について日々思ったことをつらつらと書き連ねるブログです。

孤独と進路

皆様、ご無沙汰しております。

 

実に、一ヶ月以上ブログを更新できていなかった。大学のテストがあったり、帰省していたりという理由もあったが、何よりブログを書く気力すら失っていたからである。

今回のブログは完全なる心の闇の吐露になってしまうと思われる。普段、文章を書く時は構成や言い回しなど、予め考えてから書き出すが今回は次から次へと思いつく言葉を感情のままに書きなぐる、ただそれだけの非文明的というか、知性のかけらもないというか、とにかく読んでいていい気のしないものとなるであろうから、読者の皆さんは適当に読み飛ばしていただいて構わない。

 

タイトルにあるよう、テストがあらかた終わり、春休みに突入してからというもの、毎日ベッドからほぼ動かず、朝に寝て夕方におき、適当に料理を作って、食べて、ネットサーフィンをして、寝るという日々の繰り返しである。そろそろそんな生活を始めて一週間経つ。こんな虚しい日々は大学生活初だ。去年の春休みは誰かとしらあっていたきがする。なぜこのような生活を送っているのだろう、自問自答を重ねるが答えは出ない。いや、恐らくは分かっているのかもしれないが、その答えを受け入れることをどこかで拒絶しているのかもしれない。とにかく、人生史上最大に人間関係が希薄になってしまっている。何人か遊びのラインをくれる子もいるが完全に、無視しまっている。ラインもアプリを消し、見えないようにしてしまった。孤独が嫌なのに、自ら自分を孤独に追い込んでしまっているといえるのではないだろうか。自分から誰かを遊びに誘うこともなぜかできない。いや、正確には誘った子もいたのだが、適当にあしらわれてしまって、それがショックとなり、他の人も誘えなくなってしまったのかもしれない。話がまとまらないが、とにかく孤独な日々で神経がすり減っている。自殺しようとまでは思わないが、孤独が理由で命を経つ人間の気持ちがわからないでもない、そういう段階まで来てしまっているかもしれない。自分は寂しがりやであるというのは前から自覚していたが、それにある程度耐性があると思っていた。仮面浪人の経験で、その耐性はかなり強くなったいたのは事実である。しかし、一度楽しい生活を謳歌してしまうとその培った力は一瞬で崩れる。人間は脆い。

 

うまく話がまとまらなかったので、もう一つの題名に書いた進路について書いていこうと思う。私は現在大学三年生で、周りは少しずつ就活への準備を進めつつある。私はまだ何もできていない。前まではそれで良かったかもしれない。なぜなら私は大学院へ進学したいと考えていたからである。私は生態学系の研究室に所属していて、その勉強を活かして環境・生物系の専門職かそういったことを扱うライターをしたいと考えていた。これはかなり小さい頃から考えていたことだ。しかし、一度高校生のとき同じように進路に迷って、法律系の仕事がしたいと思い法学部へと進学した。しかし、気持ちが変わり、今の大学を再受験したのだ。そこまでして決めた進路であったから、当然モチベーション高く勉強をしていたし、進路も前向きに考えていた。だけれど、今また迷いが生じている。今この時期の選択は本当に自分の人生を決まる選択となる。それを選択する直前となって、決断ができなくなってしまっている。決断力がない、ということは即ち恐怖に侵されているということだ。私は決断力が本当にない。決断するには必ず恐怖を感じる。よくもまあ、周りの人間は進路を簡単に決められるなと思ってしまう。もちろん、他人が簡単に進路を決めているとは思ってはいない。よく考えた上での決断であろう。けれども、私にとっては決断をできてしまう時点で、それは私のそれと比較して、圧倒的に精神的に容易な行動だと思ってしまうのだ。納得のいく決断ができている様子。その事実こそが、理解ができない。いつだって、納得いく決断のできたことなどなかった。高校受験、大学受験、部活決め、サークル決め、友達や恋人作り、昨日の帰り道の道順、今日の夕飯のメニュー、どれもうまく行った試しなどない、と思ってしまう。実際に受験なんかは全部失敗している。いや、人生そのものの選択を間違ってしまっている。これは全部一重に私の決断力の無さが招いたものなのだ。どうしたら、決断力というものはつくのだろうか。そして私はこの選択こそ、正しい決断ができるのだろうか。今は孤独と戦いつつも、人生最大の決断をしていかなくてはならない。